武士道とは



 武士道には、体系的な書物がありません。

 一般的に武士道と言えば新渡戸稲造氏の著作が有名ですが、これは新渡戸氏の知っている(もしくは経験した)江戸時代末期の南部藩の武士が持つ感覚、というとらえ方もできます。しかし、実際には同じ江戸時代といえども各藩によって武士道には違いがあります。

 江戸時代初期に定められた「武家諸法度」の第一条には

“文武弓馬の道、専ら相嗜むべき事”

とあります。これは、武士は武道と学問を第一に専念せよ、ということです。ところが、同じ江戸時代でも70年後には

“文武忠孝を励まし、礼儀を正すべき事”

と文言が変化しています。これは、武力よりも忠孝・礼儀に重きを置き、秩序の構築と為政者としての側面を重視したことをあらわしています。同じ江戸時代でも、武士の在り方は変化しているのです。

 では、武士のルーツではどうなっているのでしょうか。

武士に関する成文法で最も古く、最も後世に影響を与えているのは何といっても1232年(貞永元年)に定められた「御成敗式目」です。その第一条には

“神は人の敬によって威を増し、人は神の徳によって運を添う”

とあります。

 武士とは、まず何をおいても土地の神様、氏神様の祭祀をするものである、とされているのです。

ひと口に武士のきまりといっても、だいぶ違いますね。

我が国は歴史の長い国です。ですから、一つの事実のみを見るのではなく、広い視野の歴史観から武士道について考えなくてはいけません。

 剱流 武士道では、武士道を武芸式目・文匡式目の二つから学びます。これらは文武両道の言葉が示す通り、二つの別な方向から武士道を学ぶということです。

 学ぶ入り口は違いますが、どちらもその奥にある“理”を理解し会得することが重要です。目に見える様々なもの、また目には見えぬもの、それらすべてに共通する“理”は、武士道の根幹ともいえるものです。

“理”は朱子学の概念であり、江戸時代の藩校や私塾を通して日本中の武士が学んでいました。もっとも、朱子学とその概念は室町時代にはすでに我が国に輸入されてはいるので、分国法や家訓として学び、身に着けていた武士も数多くいました。

しかし、これほど重要な“理”も、我が国の歴史教育の中には出てきません。せいぜい江戸幕府が朱子学を正学とした、程度の記述があるくらいです。これは非常にもったいないことです。我が国の歴史をつないできた武士の思想と行動は、もっと多くの人に周知されるべきものだと思います。

そして、せっかくこの21世紀に武士道を学ぼうという志がある方には、きちんと武士が学んだことを知ってほしいと思います。

 過去の日本人が身に着けていたものを、時を越えて今の時代に学ぶ。そして改めて“日本人である”という認識と矜持を剱流 武士道によって身に着けてほしいと、わたくしは思います。